高校生は固まっていない。

pjmnapsyugo.jpg 8月20日から27日まで沖縄に行ってきました(これで通算14回目)。といっても、21日から24日にかけて行なわれた合宿研修の講師のお仕事としてです(汗)20日は前日打合せだし、27日はヒアリングにあてようと思っていたので、実質オフは25日と26日。「えぇー、もったいなーい。」と多くの人に言われましたが、仕方がありません(笑)



 研修の大枠についてはシチズンシップ共育企画のサイトでも報告していますので、そちらをご覧ください。また、プロジェクト未来なはのブログもあわせてご覧いただくと良いかと思います。



pjmnappre.jpg 今回の研修は高校生と大学生を対象に糸満青年の家にて行なわれたのですが、24日最終日には、青年の家から那覇市NPO活動支援センターへ移動して、参加者が合宿でつくりあげた企画書を「審査員」の方々に対し、プレゼンして、評価してもらいました。



 審査員には、観光協会の事務局長や公民館長、NPOスタッフがおられたのですが、審査会の中で、印象に残った言葉が那覇市教育委員会の前教育長の「高校生はまだ固まりきっていない」という言葉。



 自分の考えや夢、ポリシーも固まりきっていなければ、アイデンティティもまだまだ柔らかい状態。だから影響されやすいし、触れ幅も大きいし、時にのめり込んでしまう。そのことがもたらす「ひたむきさ」や「突進力」、「青臭さ」が人の共感を喚起することも多くなく、僕も喚起されやすい一人です。



 「固まっていない」ということは同時に「危うさ」をも含んでいます。故に、一部の大人は高校生の想定を越えるチャレンジに躊躇するわけですが、「危うさ」に十分に慎重でありながら、大胆に思い切って動くことを支援することが大人には求められているように思います。



 昨年は大分で大分県教育庁の「ティーンエイジリーダー育成事業」での研修を通じて、多くの高校生に出会いました。今年も沖縄で高校生との時間を持ちました。



 大分でも沖縄でも、僕の講義がどこまで理解できているのか、といえば、怪しいところもあるでしょう。しかし、「わけ分からへんけど、おもしろそうやし、とりあえずやってみるか。」とワークで手を動かし、アタマを動かし、仲間と議論することが大事だと思っています。そうした体験を通じて、「やってる内にわかってきた」という時がくるからです。大分の実践結果を見届けて、そのことを確認しました。



 「固まっていない」存在だからこそ、とにかくあれこれ動いてみて、自分をさらしてみる。成功も失敗も含め、体験の中で自分がもまれていく内に、固まっていく姿が浮かび上がるのではないでしょうか。「わからない。だから、やらない。」ではなく「わからない。だから、やってみる。」、僕なりにプラグマティズムをこう理解しています。



 沖縄の大人の方がみなさん、温かい支援のまなざしであったことが印象的でした。阪神地域も想定外のチャレンジに寛容でありたいものです。