社会に対するセンサー

 研修のお仕事で26日・27日と博多に出張してきました。今年はなぜか依頼の多い「リーダーシップ」をテーマにしたセッションのワークショップを担当しました。答えがない中で、でも何かしら求められるというところで、ニーズのあるテーマなのかもしれません。



 で、せっかくの機会ということで、現在九州で働いている高校時代からの親友と会う時間を何とかつくり、ゆっくりと語りこみました。テーマは多岐にわたってのお話でしたが、学生時代の経験、そしてその後の社会人経験を踏まえて、「社会のできごと」に対するセンサーはどのように/どれだけ高まったのか?という話が面白かったですね。



 比喩的な表現ではあるのですが、学生時代に社会のできごとと直結しているボランティア活動をしているんであれば、始める前と始めた後で新聞を読んでいて引っかかる記事が変わって欲しいよね、といった話からの展開でした。



 たとえば、子ども・教育分野の活動であれば、もちろん昨今の「教育改革」と呼ばれる一連の動きや子ども・教育を巡る評論や問題提起には、敏感になるはずでしょう。



 そうした自分の中のセンサーが高まるという自己革新の契機をボランティア活動や社会人としての生活は常に既に孕んでいるものです。



 その潜在的な教育のチャンスを自分で勝ち取ることができれば、それはそれで素晴らしいことですが、自分でうまく勝ち取れていないメンバーが自らのグループにいるようであれば、リーダーのお仕事の一つとして、そうしたメンバーのセンサーが高まるような支援が求められるように思います。



 研修会の後で主催者の方とお話しする中で、こんな話になりました。社会人になると、様々な仕事に従事し、多くの方々に会うようになる。これは見方を変えれば、人間を磨く教育機会が多くあるということだろう。それでは、社会人として歩んでいる知り合いを見渡した時に、どれだけ人格に深みが出てきているのだろうか、と。



 仕事/活動、出会いなど、教育の契機がたとえあったとしても、そうした機会をどのように捉えているかで、成長/革新へつながるかどうかが決まるということ。至極当然のこのことを改めて考えさせられました。



 今週末は参議院選挙。社会人としての生活の中で、磨かれたセンサーをフル活用して、しっかりと今後6年間に起こりそうな政治アジェンダに取り組んでくれそうな候補者を見いだしたいものです。皆さんもぜひ自分のセンサーで候補者を「選んで」、投票所へ!