学生時代にボランティアをする意味とは?

isvs.jpg シチズンシップ共育企画のウェブサイトでも紹介しましたが、この日、学生ボランティア国際大会のオープニング・パネルディスカッションにパネリストとして登壇しました(写真はパネルディスカッション後に参加した分科会の様子)。



 非常に限られた時間であったこともあって、込み入った議論や問題提起はできませんでしたが、議論全体を見渡すに、会場におられたボランティア活動に取り組む高校生・大学生にとっては、「考え出すキッカケ」となるセッションになったのではないかと思います。



 私は、NPO市民的公共性の器として捉え、そのポテンシャルの顕現化に真摯に取り組まれる業界の先輩の方々と触れ合い、様々な(思考を触発する)問いと経験談を投げかけてもらう中で、また一緒にお仕事をさせてもらう中で、「NPOの活動」というものについて思索をめぐらせることになり、結果、市民的リテラシーの基盤が磨かれてきました。(こうした自分自身のネットワーク(というある種の共同体)の中での学び・育ちの経験から、レイブ&ウェンガーの「正統的周辺参加」に注目をした市民教育論を修士論文ではまとめたわけでした)



 自分自身、まだ未熟者ではありますが、自分も触発される側のみではなく、触発する側へと立ち位置を変える局面も増えています。今回のディスカッションで、をたとえ一人の人へであっても、触発する問いや言葉を提示できたのであれば、嬉しい限りです。どうだったのでしょうね。



 なお、学生がボランティアをする意味について、この日私は、「学生という期間は、自分が時間を自由に使え、あることに夢中になって可能性を目一杯試せる中で、『自分づくり』を行っている期間だと思う。そうした『自分づくり』の過程で、ボランティア活動をするということは、社会とのつながり、社会の中での自分の位置づけを明らかにしていくものになってくるのではないか。」というようにまとめました。本当はその先に、シティズンシップへの気づきがあるのではないか、ということも言いたかったのですが、そこまで言うと、聞き手には飛躍して聞こえるかなと思って、とめました。



 この発言の前にどういった議論があったのかというところを説明しないかたちで抜き出しているので、「ん?」と思うところもあるでしょうが、そこはどうかご勘弁を。どのように編集されるのかは分かりませんが(…少し不安)、9月中に産経新聞の全国版で報告記事が出るはずなので、議論の流れについては、そちらをご覧ください。



 ちなみに、学生時代にみんながみんなボランティア活動をすべきだ、というふうには考えていませんので、誤解なきようお願いしますね。ボランティア活動は「社会」とつながる一つのチャンネルであって、他にもチャンネルはあるはずですしね。