考える余裕をもつ

 こう何日もブログを更新していないと、よっぽど忙しいのではないか、と思われるかもしれません。確かに忙しいのに間違いはないですし、帰ったらバタンキューという状態であることが多いものです。



 ただ、何を書こうかと、迷ってしまうということの方が、更新を阻んでいるように思います。もう少し、話を進めれば、(僕は)ブログで日々の思索を書こうと決めているのに、ネタとなる「考え」で、「これええなぁ」というものがぱっと浮かばないのですね。。



 自分の「考え」を触発する体験が、昨年より減っているといえばそうなのですが(→これは決して無意味な体験を日々しているのではなく、自分のセンサーと実際の体験との相性の問題)、なんとなく、考えをまとめる/まとまって考える時間や精神的余裕があまりとれていないからかなと。



 「噴火」みたいに、溜まって溜まって湧き出てくるということもあるので、別にこまめに書くことが絶対的に良いわけではないですが、個人的にはこまめに書きたいなという思いもあり、考える余裕をもつことを心がけたいなと、改めて思いました。



 とまぁ、更新できないという事実について考えてみたいのでした(苦笑)

 ちなみに、最近、職場の人との会話の中で、ぱっとやってみたい企画を思いつきました。まだ、企画書にまとまっていないので、おおやけにはできませんが、「大学図書館」と「学生支援」、「人材育成」がキーワードになります。職場でカタチに出来るかどうかは、分かりませんが、カタチになる日をお楽しみに。



 そういえば、カントの言葉で次のようなものがありました。いい仕事をするには、思索をたやしてはいけませんな。



 「思索とは日々の栄養のようなものである。目覚めている時、そして一人でいる時、思索を止めてしまっては生きてはいけないのだ。」(イマヌエル・カント