老人は夢を見、若者たちは幻を見る !?

 僕のデスクにある、関学の卓上カレンダーには、毎月、聖書の箇所が書かれているものがあるのですが、なぜか今月は「老人は夢を見、若者たちは幻を見る。」というもの。なかなか、「ぐさっ」とくる言葉ですが、選んだ人の意図(なぜこの箇所をこの時期に?誰に向けて?など)を聞いてみたいものです。



 今日は、大学学部時代の友人らと、新規にユニット・チームをつくって取り組もうかと考えているプロジェクトの打合せがあったのでした。「若者たちは幻を見る。」ということで、幻のような将来イメージを語りつつ、コンセプトを話し合ったり、今後の動き方を確認したりと、キックオフの機会となりました。まだ煮詰め中なので、オープンにはしきれませんが、チームでもブログをそう遠くない未来に設けるので、そちらをお楽しみに。おもしろいコンセプトチームができそうなので、非常に楽しみです。わくわく。



 若者は確かに幻を見ているのかもしれません。しかし、それが悪いことだとは限りません。その幻を追い求めて、現実化に向けた努力や工夫を重ねていくことで、幻は現実のものとなるかもしれないわけですし、今日のキックオフもそうした動きだったと言えるでしょう。寧ろ、幻を見ることをしなくなった時、そこには、現状を(仕方がないものだとして)追認/肯定する、受動的な姿勢が残るように思え、そのことの問題の方が私には気になります。



 このように考えると、今月の聖句は、幻を見ることをやめ、夢を見出すにも至っていない、(一見)クールで、現実的な若者と老人の間の世代に向けて、「ほんまにええんか?」と問いかけるためのものなのかもしれません。