補完性(subsidiarity)の原則

 「補完性(サブシディアリティ)の原則」というのは、NPO/NGOといった市民活動と国家の役割関係を説明する際に(EU圏を中心に)用いられる考え方である。



 「政府の失敗/市場の失敗」からNPOの位置づけを整理する(アメリカを中心とする)NPO論が力を持つ日本では、国家や市場の機能が及ばない部分を補完する市民活動ということを言い表しているのではないかと誤解されることが、まだまだあるのだが、ここでいう「補完性の原則」とは、全く逆のことを意味している。

 

 篠原一は『市民の政治学』(岩波新書、2004年)で、サブシディアリティを「自律補完性」と訳しているが、「補完性の原則」の意味するところが、自律した市民活動を補完する存在として国家(や市場)を位置づけるものだということを見事に言い表している。



 国家が市民に先立って存在して、役割関係を規定するのではなく、市民が先に存在して国家の役割を位置づけるというスタンスは、(日本のNPOが「お手本」にする)アメリカのNPOにおいても通底する考え方である。



 にもかかわらず、日本の市民活動の現場において交わされる言説、或いは市民活動を巡って交わされる言説を見渡したとき、まだまだ「お上」が市民に優越する意識を垣間見れることがある。それは、「補完性の原則」の「誤解」の仕方に如実に現れているように思われる。



 この「お上意識」をどう拭い切っていくのか、それは市民社会の(コミュニケーションの)成熟を考える上で欠かせない問いであろう。もちろん、容易に解決できる問題ではなく、地道な議論と投げかけが欠かせない。



 市民活動の現場に関わってきている筆者の場合、まずは市民活動に取り組む現場の人間が「補完性の原則」をきちんと理解するところを促していくことが求めらると考えている。最近、筆者がマネジメント講座でも、市民社会論や市民活動論に少しであれ言及するのは、こうした問題意識からである。