「老い」を表現する。

 八十代なかばの老人になると、すごく愉快な感じが残るんだよ。相手が自分よりもはるかに偉大な人間だと認めるときに、特有の愉快な感じがある。若いときにはそれがなかったと思う。やっぱり競争心がある程度働いてしまう。人生の快楽だ。これが老年というものじゃないのかな。鶴見俊輔黒川創『不逞老人』河出書房新社、2009年)



 「老いる」ってどういうことなんでしょう。僕もそうですが、多くの人は「老いる」ことにネガティブなイメージや感覚が強いように思います。でも、鶴見さんのこのフレーズを読んでいると、「老い」は決してマイナスのことばかりのようではないようです。



 シチズンシップ共育企画が、大阪の應典院にて「生と死の共育ワークショップ」を初めて今年で3年目。1回目は「自死(自殺)」、2回目は「お葬式」をテーマにして「死ぬ」ということと真正面から向き合い、そこから「生きること」を捉え直しました。

 

 第3回目の今回は死への過程にある「老い」をテーマにします。「いかに生きるか?」を考えるということは「どのように老いていきたいのか?」ということでしょう。もちろん、その問いへの答えは「ひとつ」ではありません。その答えは人それぞれです。しかし、他者の考えや思いに触れてみるとと、「自分なりの答え」が豊かになります。



 「老いる」ってどういうことか。自分はどのように「老いて」いきたいか。ぜひ一緒に考えを膨らませあいませんか?



 今年のタイトルは、「老い」を表現する。詳しくはこちらをご覧ください。