非日常の中で回復する感性

aharen09.jpg 今年はしっかりと夏期休暇をいただき、うちの鈴木くんと沖縄に行ってきました。沖縄に行くこと19回目で、まちなか研究所わくわくが関係している地元商店街の人には、沖縄在住の人間と勘違いされていたりしました。ある意味では「里帰り」の感覚に近いかもしれません。



 離島で時計を気にしない生活をしたり、海の中で熱帯魚の群れと戯れたり、文字通り「天を満たす」ような星空に圧倒されたり、本島南部の戦跡をゆっくりと巡ったり、今回は完全オフということで、「非日常」な日々の連続でした。



 日々のめまぐるしい生活で鈍ってしまっていた感性が、そうした非日常な生活の中で回復されていっていたということを「日常」に戻って気がつきます。非日常の中で回復した感性が、きっと自らの内に眠っていた日常の「あたりまえ」への違和感を気付かせてくれることがあるのです。回復されていった感性は、自然への感性であったり、時間への感性であったり、「働く」とか「生きる」ということへの感性であったり、実に色々です。



 星はそこそこ見えたらいいか、海は少しは汚くめでもまぁいいか、時間に縛られて、あくせく働く/生きるのも仕方がないか…といった「あきらめ」に、「それでええんか?」との問い返しをいただき、自らの「ライフ」のありかたを見つめ直す、本当にいい時間でした。



 ワークショップもキャンプも「非日常」の世界ですが、よく「非日常での経験は、日常生活にどれだけつながるもんなの?」という疑問をいただきます。



 ですが、上述の通り、非日常な時空間だからこそ得られる体験や味わいを通じて、日常を見直す感性が養われることがあるでしょう。また、非日常な時空間だからこそ、普段では踏み込みきらない(仲間との)話し合いやコミュニケーションが起こり、つながり方が変わっていったり、あるいは意図的に変えてみたりすることもあるでしょう。それが、日常の関係性にも何かしらの変化や豊かさをもたらすことになり得ます。



 「非日常」には、多くの可能性が埋め込まれています。非日常/日常のブリッジどう架けるのかは、その体験者の手にかかっていまる、そう思った長期休暇でした。



 なお、話は全く変わりますが、教育ファシリテーター講座特設ブログに新しい対談記事がアップされました。コミュニケーションの中で「本音」をぶつけあうということの意味など、今回もかなり面白い話が盛り込まれています。ぜひあわせてご覧ください!